★★★ 知ってるようで知らないビキニの歴史

http://www.gizmodo.jp/2011/05/yes.html



55年前の今日(米時間20日)は太平洋ビキニ環礁ナム島沖で水爆投下実験があった日。4.57km上空で出力15メガトンの核が爆発、直径6.4kmの火炎が太陽の500倍の明るさで海を照らしました。





水爆は1951年にハンガリー生まれのエドワード・テラーとポーランド生まれのスタニスワフ・ウラムのふたりが考案したもの。水爆を空中爆発させる実験はこれが初めてですが、ビキニ環礁の核実験はもっと前からありました。世界中の海岸でもうひとつの核爆弾=ビキニがテストされ出したのもその頃です。


ビキニ史

それは1946年5月のこと。当時パリで母親の下着専門店の経営を手伝っていたフランス人自動車エンジニア、ルイ・レアール(Louis Réard)は世にも小さなツーピース水着をつくり、「世界最小の水着」として売り出します。

ファッションデザイナーのジャック・エイム(Jacques Heim)もレアールの知らないところで、似たようなツーピース水着を作って同年夏、カンヌのお店で「Atome(アトム)」として発売し、地中海の空に飛行機雲で「世界最小の水着」と宣伝したので、そっちが先と言う人もいますけどね。

「体のラインとおへそが丸出しになるきわどい水着」という意味を込めて、レアールはこの水着をビキニ環礁の核実験に因んで「ビキニ」と命名。エイムが飛行機飛ばした3週間後に自分もリビエラの空に飛行機飛ばして「世界最小の水着よりまだ小さい水着」と宣伝します。

命名がうまかったんでしょう。「ビキニでアトム分裂(原子分裂)」という冗談も生まれ、ビキニは米ソ核実験以上(?)の衝撃をもたらします。






当時はあまりにも露出が激しいため、アメリカの水着クイーンですらビキニには否定的だったのですよ。1949年のロサンゼルスタイムズでこう話しています。


ネソタ州ホプキンズの水着クイーン、ベベ・ショップ(Bebe Shopp)さん(18)は、パリで熱狂的歓迎を受けながらも、フランスの水着に対する気持ちは変わらない、とした。[...] 

アメリカの女の子にビキニ水着なんて絶対認めないわ」 、「フランス人の女の子が着るのは勝手、着たいなら着ればいい。でもアメリカ人の女の子にはまだ認めません」(インタビューでフランス人の聞き手に答えて)


まさかそのわずか10年後にGストリングなんてものが出るとは想像もできなかったんでしょう。
 



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