★★★ 【カンボジア】虐殺政権の幹部を裁けない理由

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【カンボジア】虐殺政権の幹部を裁けない理由









たった4年弱のあいだに、少なくとも150万人の国民が虐殺された。そんな国が東南アジアにあることをご存じだろうか。カンボジアである。撲殺、銃殺、刺殺、飢餓、そして病気など、人びとが殺された理由はさまざまだ。最大の問題は「誰が虐殺したのか」ということなのだが、いま、その責任の所在をめぐって、同国では特別法廷が開かれている。







ポル・ポト政権の誕生







1975年4月から79年1月まで、同国の政権を握ったのは「ポル・ポト派」と呼ばれる人たちであった。フランスで共産主義の洗礼をうけたインテリ層を中心に、「クメールルージュ」(赤いクメール)が60年代から森でゲリラ活動をはじめた。そして、70年代前半にベトナム戦争の余波に巻きこまれると、アメリカを嫌う人びとがクメールルージュを支持するようになる。







アメリカは、ベトナム戦争に負けるのとほぼ同時に、70年から実質的に支配していたカンボジアを放棄した。この突然やってきたチャンスに乗じて、クメールルージュのなかで力を持っていたポル・ポトを中心とする派閥(ポル・ポト派)が同国の支配を開始したのである。ポル・ポト政権の誕生である。







ポト派は、中国の文化大革命を参考にしつつ、ほぼ手探りの状態で政権を運営した。人びとはサハコーと呼ばれるグループに入らされ、軍や警察の監視下で米作りや水路建設などの強制労働をさせられた。他国との関係を断絶した上で、首都から地方への強制移住や通貨の廃止、インテリ層の投獄や殺害などが組織的におこなわれていった。







現政権の幹部は、元ポト派幹部







このように、独自の政策を国家という単位で「実験」したのがポト派の最大の特徴であり、前代未聞の失政であったといえる。食料の生産が不安定となって餓死者が増える。強制労働で人がばたばた過労死する。不安になる人びとの心をひとつにするため、存在しない「敵」をでっちあげる。その結果、サハコーでは、「内部の敵」という濡れ衣を着せられた多くのカンボジア人がカンボジア人によって殺されていった。







国家づくりという実験によって、ポト派は異常な社会の仕組みをつくりあげてしまった。国をよくしようと思って実行した政策はことごとく失敗し、結果として150万人もの犠牲者を出すことになった。ならば、大局的に「誰が殺したのか」は明確である。虐殺が起きた時代に政権を担当していた人たち、すなわちポト派の幹部らに虐殺の責任がある。







だが、ポト派の幹部を簡単には裁けない理由がある。それは、フン・セン首相以下、いま政権を握る人民党幹部の多くが、ポト政権の誕生当時にポト派の軍幹部であったからだ。彼らは同政権の崩壊直前に離反し、ベトナム軍と共同して同政権を倒した。それでもポト政権に協力し、共闘した前歴は消えない。要は、ポト派の幹部を裁くことは現政権幹部の首をしめることにつながるのである。







虐殺政権の実態をあきらかにするために







ポト派幹部を裁く特別法廷は国連がバックアップしているが、国際的な「正義」や「人権」という価値を裁判にそのまま持ちこんでも、あまり意味も効果もないと思われる。ポト派幹部を断罪し、歴史に区切りをつけることも重要だ。しかしそれよりも大切なことは、なぜ虐殺が簡単におこなわれるような社会の仕組みができたのかを、高齢になったポト派幹部の証言をヒントに徹底検証することであろう。







同政権の時代に殺された人びとやその遺族は、いまだに被害者として当時の過酷な日々を語る。そして、ポト派幹部に対する恨みや怒りを語る。その声は、しっかりと受けとめたい。その上で、加害者側の声を聞くことなしに暗黒政権の全体像は浮かんでこないとも思う。繰り返すが、裁判も重要だが、同幹部が法廷でかたくなになって何も話さなくなったら、虐殺の仕組みを解明する作業に必ず支障をきたすことになるであろう。











(谷川 茂)





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